イラスト:山本和枝  

 空には、もう月が出ていた。
 簡単な冒険だと思っていたが、思いの外時間がかかってしまったようだ。
「ミント、もう少しで街に着くぞ。そうしたら、ギルドで報告して、宿に泊まろうな」
 ついてくるミントに声をかける。
「うん。そうだね」
 ミントは、そう返事をしたけれど……。ちょっと声に元気がないのが気になった。

 俺は、成長したミントと冒険を続けている。
 ミントは、小さい頃のミントがそのまま大きくなったような、素直で、優しい娘になっていた。
 そんなミントに、俺は義娘むすめに対するものとは違う愛情を抱くようになって……。
 ミントも、そんな俺の気持ちに応えてくれて、今では、恋人同士として冒険を続けている。
 今日も、仕事をひとつ片付けて、街に戻る途中だ。
 けれど……。さっきから、ミントが少し元気がない。
 そんなに大変な冒険ではなかったはずなんだが……。
「ミント、疲れたのか?」
「え?」
 声をかけると、びっくりしたように顔を上げる。
 なにか、考え事をしていたようだ。
「あ、うん。少し、疲れちゃったかな」
 ミントは微笑み返したけれど、いつもの元気な笑顔じゃなかった。
「少し、休んでいくか?」
「休む?」
 ミントが怪訝そうな顔をする。
 途中で休まなければならないほど疲れてはいない……と言いたいのかもしれない。
 けれど、俺は、ミントと話がしたかった。
 なので、休む言い訳を考える。
「ほら、月が湖に映って、きれいだろ? 少し休んで、見ていこうよ」
 すると、ミントも月を見上げた。
「そうだね。冒険で足も汚れちゃったから、洗いたいし」
 ミントの賛成を得られたので、俺たちは湖畔に降りて行った。
 そこで足を洗ったけれど、やっぱり、まだ元気がない。
 俺は、思いきって聞いてみることにした。
「ミント、なにがあったんだ?」
「え? なんにもないよ」
「ウソだ。さっきから、全然元気がないじゃないか。なにか、嫌なことでもあったんなら、俺に話してくれよ」
 重ねて聞くと、ミントは、気まずそうに視線を逸らした。
 そして、視線は水面に落としたまま、ぽつりぽつりと話を始めた。
「特に、なにかあったわけじゃないの」
「でも、気になることはあるんだろ? ずっと、なにか考え事をしていた」
 ミントは顔を上げ、苦笑した。
「お兄ちゃんに、隠しごとはできないね」
「隠しておきたいことなのか? なんでも話してくれるって、約束しただろう?」
 あんな小さな時の約束がまだ有効かどうかは疑問だったが、ミントは憶えていたようだった。
「うん。そうだね……」
「ミント」
 少し強い語調で促すと、ミントは、ふっとため息をついた。
「本当に、特に変わったことがあったわけじゃないんだよ。いやなこともなかったし」
 確かに、今日の冒険はスムーズで、問題はなかった。
「ただ、ちょっと、不安になっちゃって」
「不安?」
 意外な言葉に聞き返すと、ミントはまた、水面を見つめた。
「……記憶の……こと」
「ああ……」
 ミントには、昔の記憶が全然ない。
 俺と出会う前、なにをしていたのか、どこに住んでいたのか、家族はいるのか……なにひとつ、憶えていないんだ。
 ミントの記憶を取り戻すっていうのも、こうして冒険の旅を続けている理由のひとつなんだけど。
 普段、ミントは、記憶のことはほとんど口にしない。
 だから、俺も、わざわざ話題にすることはなかった。
 だけど、それは、気にしてないってことじゃなかったんだ。
 普段は明るく振る舞っていても、心の片隅では不安があったんだ。
 そして、その不安が、大きくなって、今、ミントを苦しめている。
 失格だな……と思った。
 俺は、義父パパとしても、恋人としても失格だ。ミントの、心の不安に気づいてやれなかったんだから。
「ごめんな、ミント」
 謝ると、ミントは驚いた顔をした。
「どうして、お兄ちゃんが謝るの?」
「気づいてやれなかったからだよ。ミントは、ずっと不安だったのに、全然気づかなくて……」
 ミントは首を横に振ると、考え考え話し始めた。
「小さい頃はね、あんまり気にしてなかったの、記憶がないこと。大人になったら記憶は戻るって思い込んでいたから。なんの根拠もないのにね……」
 ミントは苦笑した。いや、淋しい微笑みと言ったほうが正しいかもしれない。
「それに、パパ……お兄ちゃんがなんとかしてくれるって思ってたせいもあるかな」
「俺が?」
「うん。今でも思ってるよ。お兄ちゃんと一緒に旅をしていれば、きっとなんとかなるって。でも、ときどき不安になっちゃうんだ……。ミントのお父さんやお母さんって、どんな人なのかな……とか。兄弟とかいたのかな、どんな暮らしをしていたのかな……って」
「それに……家族がいるなら、ミントは、どうしてひとりぼっちで、あんなところにいたのかな……とか。そんなこと……考えても、しょうがないのにね」
 ミントがそんなことまで考えていたなんて、正直、ちょっと驚いた。
 けれど、俺は、思いつくままを口にしていた。
「なに言ってるんだ。家族のことを気にするのは当たり前だろ? 俺だって、考えるさ。ミントの両親ってどんな人なのかなって」
「そうなの?」
 ミントは意外そうな顔で、俺を見上げた。
「ああ。ミントの両親だから、きっといい人だとは思うけど……。万が一、嫌なヤツだったら、絶対ミントは返さない。ミントは俺のものだって言ってやる……」
 息巻いて言ったら、ミントがびっくりした顔をした。
 自分が、思っていた以上に熱くなっていることに気づいて、ちょっと照れくさくなった。
「あ、いや。そんなことを、たまに考えるんだよ」
 頭をかいたら、ミントがぷっと吹き出した。
「もう、お兄ちゃんたら……」
 ミントの笑顔に、ほっとする。
「あははは……。けどさ、きっと記憶は戻るよ。そのために冒険してるんだし、ミントがこんなに一生懸命なんだ。必ず戻る!」
 言ってしまってから、ちょっと無責任かな……と思った。なんの保証もないことなのに……。
「って、それこそ、なんの根拠もないんだけどさ……」
 言い訳をしたら、ミントが首を横に振った。
「お兄ちゃんがそう言うなら、ミント信じられるよ。いつか、きっと、記憶は戻る……」
「ああ……それに。これだけは憶えておいて欲しいんだけど……」
 俺には、どうしても言っておかなくちゃならないことがあった。
「たとえ、記憶が戻らなかったとしても、俺の気持ちは変わらない。記憶があってもなくても、ミントはミントだ。俺は、世界中の誰よりもミントが好きだし、世界中で一番ミントが好きだって自信もある」
 ミントの頬が、ぱあっと赤く染まる。
「お兄ちゃんたら……」
 でも、俺は最後まで言いたかった。
「その気持ちに、ミントの記憶や、ミントの家族は関係ないし、一生、変わらない」
 言い切ったら、ミントはふっと微笑んだ。
「ありがとう……お兄ちゃん。ミントも……ミントも、お兄ちゃんだけだよ。記憶が戻っても、お兄ちゃんを好きだって気持ちは変わらないって、約束できる」
「……ありがとう、ミント」
 ミントはうなずくと、勢いをつけて立ち上がった。
「遅くなっちゃったね。急いで、街に帰ろう、お兄ちゃん」
「ああ」
 その笑顔は、いつもの元気なミントのものだった。
「ギルドに報告したら、宿屋に戻って、夕飯作るね」
「頼むよ。もう、俺腹ぺこ」
「今日は、お兄ちゃんの好きなオムライスにするね」
 オムライスを想像しただけで、俺の腹はぐうっと鳴った。
 それを聞いて、ミントがくすっと笑う。
「早く帰ろう!」
 街に向かって歩き始めたミントの顔には、もう、不安の色はなかった。
 そのことに安心しながら、俺は、決意を新たにした。
 なにがあっても、ミントのこの笑顔だけは、守ってみせる。
「ミント、オムライスは、大盛りにしてくれよ」
 先を歩くミントに声をかける。
 ふり返ったミントは、元気な声で答えた。
「もちろん!!」